心理士でパニック障害当事者のきつね丸です。
突然ですが、臨床心理の世界では事例研究というものがあります。
事例研究とは、ある病気や悩みを抱えた1人の当事者の治療過程から、同じような病気や悩みを抱える方の援助に役立てるものです。
たった1人の体験ではありますが、それでも多くの学びがありますし、実践に生かせる部分はたくさんあります。
そこで、事例を通して皆さんの克服に役立てていただくために、今回は私の事例を紹介します。
全部では長過ぎるので、まずはパニック障害を発症した時期までのお話をします。
その中でパニック障害の発症に至る要因を挙げていきますので、ご自身の場合と比較していただき、それを自己理解につなげてもらえたらと思います。
それでは、時系列に沿ってお話ししていきます。
1. 幼少期(小学校入学前まで)
養育者に甘えられなかった
幼少期における大人、特に養育者との関わり方は、その後の人生に少なからぬ影響を与えます。
発達心理学のアタッチメント(愛着)理論がその最たるものです。
(奥が深すぎる概念のため、アタッチメント理論に関する説明はこの場では割愛します…)
私の場合、幼少期の主な養育者は母なのですが、その母にあまり甘えられなかったようでした。
当時母は、ガンで闘病中の祖母の看病をしつつ、祖父母宅の家事もこなしていたそうです。
覚えていることはほとんどないのですが、忙しい母が昼寝しているのを横目に、小さな滑り台を1人寂しく滑っていた記憶が唯一残っています。
そのためか、幼少期からとてもおとなしい子どもでした。
保育園に入ってからは皆で元気に遊んでいた記憶があるのですが、母に対する寂しさ、甘えられなさはずっと抱えていたのかもしれません。
2. 小学校時代
内気で自己表現が苦手
慣れた友達の中では平気だったのですが、クラスの中では引っ込み思案がすごかったです。
授業中に発言しない、図工で作ったものを発表するのが恥ずかしい、好きなものを好きと言えない、などなど…
心理学では、性格は遺伝と環境の両方が相互作用して形成されるという説(相互作用説)が現在のところ有力です。
私の場合も、内気な性格である母からの遺伝に、甘えられないという環境が合わさって、とにかく恥ずかしがりや、内気、人見知りな性格になったのかもしれません。
それでも、友達には恵まれて楽しい小学校生活を送ることができました。
3. 中学校時代~高校1回目
部活でいじめに遭う
中学入学後、友達に流されるまま入部した部活でいじめに遭いました。
暴力はほとんどなかったのですが、”きつね”とあだ名をつけてからかわれる等、何かにつけてからかわれていました。
(ちなみに、このいじめを乗り越えるという意味合いでペンネームを”きつね丸”にしています)
とにかく見下されている感じが強く、自分が周りに同じことをすると倍以上の仕返しがきたり、本気で怒っても笑われたりしました。
本当に辛かったのですが、当時はなるべく考えないように、辛さを感じないようにして生活していた気がします。
性格もますます内気になっていきましたが、信頼できる先生の叱咤激励もあり、少しずつ内気な自分から変わろうと意識するようになりました。
そうして積極性を持ち始めるようになると、少しだけ周りの当たりも柔らかくなったような気がします。
高校1回目で再びいじめに遭う
やや無謀にも挑んだ第1志望は不合格となり、第2志望の高校に通い始めます。
学科の制度上部活をするのが難しく、ほぼ勉強中心の生活でしたが、周りとも積極的に関わることでそこそこ充実していたように思います。
ところが、いつも一緒にいた数人から、中学時と同じようないじめを受けるようになりました。
部活もできず、いじめられる日々に嫌気がさし、ある日家族に現状を打ち明けます。
そして、高校を退学して第1志望だった高校を再受験することを決意しました。
私の地元では高校浪人が毎年何人かいるのを知っていたので、再受験にはあまり抵抗はありませんでした。
その後、何とかリベンジを果たし、いじめてきた奴らを見返してやったという誇らしい気持ちで第1志望の高校に通い始めます。
しかし、この2回のいじめ被害を通して、
・自己肯定感の低下(自分を肯定的に捉えられず、何事も否定的に考えてしまう)
・自分は見下されて当然、価値のない人間
などといった認識が私の中に刷り込まれてしまいました。
いじめにはその後の人生を左右する重大な影響がありますが、後日別のタイミングで書いていきたいと思っています。
4. 高校2回目~発症まで
高校2回目の序盤は周りに恵まれ、楽しく充実した生活を送っていました。
部活と勉強に打ち込みつつ、友達ともバカな話をして本当に楽しい思い出が残っています。
しかし、高校1年生が終わる時期に、2つの大きな出来事に見舞われます。
2つの喪失体験と死の恐怖
それは、唐突にやってきた親戚の自殺、そしてその翌日に起きた東日本大震災でした。
身近な人が思いもしない方法で亡くなって整理がつかない状態でしたが、そこにあの大震災がやってきて、頭の中が完全にフリーズしてしまいます。
その後に自分の中に残ったのは、「人は死んだらどうなるのか」という問いと「死ぬのが怖い」という恐怖心でした。
死の恐怖というのは「普段人が抑圧している最大の恐怖心」と大学院時代に先生から教えてもらいましたが、まさにその恐怖心と上手く距離感が取れなくなっていました。
誰にも話せず日記に書き殴って気持ちを静めたり、生活が戻っていくにつれてその恐怖心は私から遠ざかっていきます。
しかし、この時の死の恐怖がパニック発作時の恐怖心につながっているような感覚があります。
悩みを相談できない
高校2年生になり、それまで楽しかった学校生活にも陰りが見え始めます。
部内での人間関係や成績、勉強が思うようにいかなくなり、壁にぶち当たっていました。
今思えば担任や顧問の先生、家族に相談すればよかったのですが、なぜか1人で抱え込んでしまいます。
上述の死の恐怖の時もそうなのですが、相談する、誰かに話をするというのが選択肢にすら入っていませんでした。
元々の内気な性格に加えて、いじめ被害によって無意識に他者を信用できなくなっていたり、「自分は他者に相談する価値のない人間」と勝手に思っていたことも影響しているかもしれません。
我慢し続ける日々が続き、ある日限界を迎え、部活の練習中に突然パニック発作に襲われることになります。
まとめ
ここまでを簡単にまとめると、
- 内気な性格で自己表現が苦手
- 2度のいじめ被害で自己肯定感が大きく低下
- 喪失体験から死の恐怖を感じる
- 悩みを相談できず一人で抱え込む
こういった要因がパニック障害の発症につながったと考えられます。
特に、相談できずに1人で抱え込むことが非常に大きな影響を与えたと思います。
いじめでも悩みでも、他者に話して受け止めてもらうことが思春期には非常に大切です。
何で相談できなかったんだろう…と不思議に思うのですが、あの時はあの時で自分なりに生き延びようと必死でした。
発症後しばらくはどん底に落ちてしまうのですが、長くなったのでその事例はまた後日お話しします。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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